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12

Sep

2013

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日

五輪の招致でも焦点となっていた福島原発の汚染水問題ですが、いまなお収束どころか不安定な状態であることを思い知らされた原発処理の現実です。本書はその発端である東日本大震災の直後に、現地で何が起こっていたのかをインタビューを基に再現したノンフィクションのドキュメンタリーです。 本書は福島第一原発の事故当時の所長である吉田昌朗氏を中心とした内容で進みますが、この吉田所長は当時から様々なメディアでも「所長が吉田さんであったのがせめてもの救い」と云われていた人物でもあります。 内容は恐らくはほとんどの人が知らなかったであろう福島第一原発の成り立ちや、初期にアメリカのGEの技術移転があったエピソードを皮切りに、当時の原発所員の視点で事故直後の緊迫した状況が描かれていきます。菅首相が現地に来た際の経緯や状況も可能な限り正確に再現されているようで、さまざまなメディアや本人の証言などの食い違いがいまなお話題になるものの、一定の解釈を提示してはいます。 最後のエピローグは、目の前が霞まざるを得なくなりますが、結局のところ、庶民が庶民のために命を懸けて、それを一番諒解していたのも国民である庶民だという描写に、いまなおだらしのない政府や東電への作者の強烈な批判と皮肉、そして救いと希望が見てとれます。

もっとも印象に残ったのは、当事者である原発職員や自衛隊の方々が、本書の中で何度も、「当然の事をしただけである」という感覚で当時も今もいることです。だから今になっても当時の真実が逆説的に見えてこないとも言えるのですが、第三者的なマスコミや学者連中、批評家がいまだに全容を解明できないポイントなのかも知れません。なにせ当の本人達に「国を救った」とか「絶対絶命のピンチを自分のおかげで切り抜けた」などという大それた!?感覚は一切なく、「当然のことをした」だけなのですから。

著者の門田隆将氏が何度も念押ししているように、本書は反原発でもなければ責任を追及する暴露本でもなく、日本という国の国民庶民が未曾有の国難において「当たり前の行動を取った」ドキュメンタリーだけの本で、特に主張や見解を明示しているわけではありません。

ただし、本書の印象から敢えて 風呂敷を広げれば、過去の戦争を含めたいろんな歴史的な事件や話題も、当時の我々の先祖である日本人が、恐らくはほぼ間違いなく今回と同じように「当たり前の行動をした」のであれば、今なお真実が不明瞭な理由や本当の答えがどこにあるのかは、おのずと明らかではないのかという気がします。著者が暗に明示したいのも、日本人としての行動規範!?は今回も失われずに残っていてそれが国難を救ったと取れなくもありません。まあそんな大それた意図はなく、著者も同じように「当然のこと」として本書を上程したのでしょう。 ともかくも是非一読をお勧めするのと、さる7月に亡くなられた吉田所長のご冥福をお祈りしたいと思います。


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